introduction:
ブログ番外編
2025年5月初旬 旅の記録
ウルルを旅する世界中の人々へ
オーストラリア先住民である
「アボリジナルピープル」
18世紀、白豪主義のもとオーストラリアはイギリスの流刑植民地となり、多くのアボリジナルピープルが悲惨な歴史を辿ったことは、意外にも一般に広く知られていない気がする。
いまもその土地に宿る精霊を信じ、伝統的な生活を行うかれらの文化について、深い興味を持ったことがわたしのウルルへの旅への始まりでした!
このブログが、アボリジナルピープルの精神性や文化に敬意を表し、
「チュクルパ」(ジュクルパ)や「ソングライン」という未知な言葉、世界に対し、もう少し理解を深めたい!
そんな旅人の探究心の一助になれば嬉しく思います。
これはすべて私というフィルターを通して感じた記録です。
人類学やその土地の文化に詳しい人間ではありません。
また、上記文化に興味のない方にとっては、意味不明な表現も多いかもです!
(私のアウトプット、しょせん自己満足なのね)
興味がない方はどうぞスルーを🙏
表現の拙さ、浅さもどうかお許しください。
理解を深める その①
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アボジナルピープルの精神性は、
自分たちが移住してきた土地と
非常に強く結ばれている
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人間が土地を所有するのではなく
人間がその土地に属している
そんな概念をアボリジナルピープルは持っている。
先祖由来の土地があり、そこにあるのは、
精霊となった先祖、ルーツとなる動物、植物
口伝えに伝承されてきた物語や戒律、
そんなものが土地には内包されている。
実際に、ウルルを観光していると、
「ここからは写真は撮らないでください」「ここは写真 NGです」
とガイドさんから言われることが多い。
いわゆるそれが彼らの「聖域」。
現在でも、儀式などが行われていて、
そこにどんな由来や神話があるのかも先住民以外は知らされていない。
理解を深めるその②
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アボジナルピープルの人々は、
祖先からの伝承文化と現在(いま)を
行き来しながら暮らしている
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◉ アボリジナルピープルの神話、物語
「文字」を持たない彼らは、
祖先代々、口伝えで伝えてきた物語がある。
その土地に残された物語や神話のことを
「チュクルパ(Tjukuritja)」(アナング族の言葉)と呼ぶ。
「チュクルパ」は、ときに、教訓であったり、啓示であったりする。
例えば、ウルルにある案内看板。
クニヤとリル(毒蛇)の戦いの跡が、どんなものであったか
どの場所に残されているのか記されている。
これは単なる土地の神話ではなく
女性は家族を守り、傷ついたひとを守るべきだ
(それを怠ると罰がくだる)というような教訓も含む。
そして、この教え、教訓がチュクルパというものなのだと実感する。
蛇の姿に戻ったクニヤ。岩が蛇の姿が見えます。
さらに、土地に残る神話は
水の出る場所、食べ物のありか、狩をするための動物のすみかなど
厳しい土地を生き抜いてゆくための情報を
時に「歌」にして、ときに壁画に記し、子や孫の世代へ伝承してゆく。
この口頭伝承が「ソングライン」。
ソングラインは、オーストラリア全土に巡らされているという。
さらにソングラインについて理解を深めようとして手に取ったのがブルースチャトウィンの「ソングライン」でした。
本は長くてすこし間延び(すいません汗)しちゃったのですが、、
ラストのエンディングだけでも目を通してください!!
(私は市立図書館で借りて読みました)
特に、アボリジナルピープルの「死」に関する概念
「死=終わり」ではない。
「祖先となり、また、その土地の精霊となって生き続ける」
という概念がひしひしとリアルに伝わり、感涙ものです。
書いていて、ふと思い出したのがあの映画です。
ちょっとハナシがはずれますが、
「世界の中心で、愛を叫ぶ」
映画になった大ベストセラー であり、片山恭一さんの物語。
白血病で余命いくばくもないアキは少年時代のサクに自分が死んだら、ウルルに骨をまいてほしいと願い、それを大人になって叶えるというせつないエンディング。
ラストシーンが印象的で、あの場所に行きたいという想いが私に刷り込まれたような気がします。
ではなぜ、アキは自分の骨をウルルに蒔いてほしかったのか?
これは、あくまでわたしの想像の世界ですが、原作の片岡さんか?映画監督さんがすでに、ウルルに住む先住民の死生観(=その土地の精霊となって生き続ける)を知っていて、2人がかつて目指したウルルの土地とともに、
サクの胸に永遠に「生き続ける」
そんな方向性を物語に持たせたかったのでは?と思ったりしています。
理解を深めるその③
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アボジナルピープルの人々のいまは!?
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ウルルで出会ったガイドさんは、アボリジナルピープルは
いまも伝統的な生活スタイルを営んでいる!
と言いました。
実はこの表現、どこまでが「伝統的」なのかわからないと懐疑的なのです。
わたしがウルルで出会ったアナング族の親子はホテルや観光地のストリートで絵を移動販売し、「フィッシュ&チップス」を食べていました。
イギリスの食文化でもある「フィッシュ&チップス」
たしかにサックサクだけど植物油脂のかたまり・・・💦
私は彼らから絵を購入し、許可を得て写真を撮らせてもらいました。
アボリジナルに触れ合いたい、知りたい
それは私の手前勝手な想いであることも重々承知しています。
彼らは写真を撮られることをよく思わず、
ツーリストにもオープンンマインドではないことが伝わるので手元だけの写真を。
そして、少しでも交流の手がかりを得たくて、日本から持参した日本画の絵葉書や、紙風船をプレゼント。
65豪ドルで購入した絵
(もちろん、購入には現金が必要です)
なんの絵?と聞くと「メディスン」と!薬草の絵のようです。
ここでもうひとつ、ウルルに旅に出る前に読んだ書籍。
『隣のアボリジニ』上橋菜穂子著
これは、都市に住まうアボリジニピープルと著者との関係をフィールドワーク(現地調査)を通して、彼らの姿や生活を描いたもの。
リアルな今の状況が書かれていて本当に勉強になった一冊。
なによりも、上橋さんの真に「彼らの存在そのもの」を理解しようとするスタンスや、異文化への精神的な謙虚さ。
はっと気付かされることが多くて、その交流にじわじわ心が温かくなります。
また、彼らが直面している白人社会と共存してゆくことの生きにくさ
職に就くことの難しさ、貧困に関しても書かれていて、学べることが多い本です。
あとがきには、著者と関わったアボリジナルが
「腰布姿でやりを持ったアボリジニでない、わたしたちみたいなアボリジニもいるんだって日本の人たちに伝えて」
という言葉があり、ひとくくりにアボリジナルピープルを
「こういった人たち」
とステレオタイプの枠にはめがちな私たち、そして私の浅はかさと危険性を感じてしまうのです。
どんな人種も、人間そのものもその時代に応じて変容してゆくものだから。
とはいえ!
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都市にもゆけない、森にも戻れない
変容しきれずに困惑しているのも
アボジリニピープルだということも
体感として理解できたのです。
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それでも、アボリジナルピープルが太古の昔から子孫へと
そして、種族間で口頭伝承されてきた「ソングライン」。
私には興味深いものでした。
種族の「歌」を聞けるタイミングは今回の旅では叶わなかったけれど、
そのアウトラインが鮮明になっただけでも旅に出た価値はありました。
最後に
ウルルのウォーキングで出会った光景。
マギー スプリングス(MAGGIE SPRINGS)の写真を。
「不滅の池」と呼ばれるアボリジニの聖地のひとつらしい。
ここに立つと、そんな説明がなくとも
ここが特別な場所だということがわかります。
ずっとここに立っていたかったな・・・
私に必要な場所なんだと思う。
乾いた岩肌から流るる水は、どれほどの生きものを命を潤してきたことだろうか。
これからも、彼らの聖地が、彼らの手によって守られ
世界文化遺産でもある「チュクルパ」
そして、ソングラインが後世に種族間で語り継がれてゆくことを心から望みます。
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拙い旅の記録にお付き合いくださりありがとうございました。
わたしも「古きもの」=漢方の理論
を伝える、いち担い手として、
大切にその意味を伝えてゆきます。
漢方薬剤師 島田和美